HISTORY
第4章 2000年〜
■平成11年1月、長年支援してきた阪神淡路大震災・遺児孤児のためのケアハウス「浜風の家」が兵庫県浜風町に開館。理事は藤本義一さん
■平成11年2月、アルバム「日高正人30周年記念全曲集〜想い人〜」リリース
■平成12年1月、「浜風の家 一周年の集い」に皇太子殿下ご視察
■平成12年2月、27thシングル「これも人生」発売。
高度経済成長を支えた、40代後半から60代の男たちが、リストラなどつらい思いをしている今、正人は人生の応援歌を唄った。この年、ガウスエンタテインメントに移籍。
■平成13年6月、28thシングル「達磨」発売。
作詞・作曲:永井龍雲
『「達磨」という歌は、日高正人という人に唄われるのを、待っていたような気がする。無骨な者でしか分からない哀しみ、不器用な者でしか分からない一途さ、苦労を知る者でしか分からない優しさ。これらを合わせ持つ歌手に唄われてこそ、この曲の完成を見た。人情がもし、今も生き続けているのであれば、こんな曲が売れてほしい。こんな男(ひと)が流行ってほしい。そうすればまた、世の中きっと、穏やかになる。』
永井龍雲
■平成13年7月、映画「悪名」出演。
歌一筋に生きてきた男が役者になった。正人は映画「悪名」に役者として挑戦した。そして、現在も、映画・Vシネマ・テレビドラマなど、数々に出演している。
■平成13年8月、ベスト・アルバム「男!〜達磨〜」発売
■平成14年1月、東京プリンスホテルにて、第9回 ボウリング・マスメディア大賞 個人賞受賞
■平成14年6月、29thシングル「港町メロドラマ」発売。
歌謡界に新ジャンル誕生!ジャパニーズR&B"ENKA"作詞は宇井天平(小西良太郎さんのペンネーム)
■平成15年1月、NHK朝の連続テレビ小説「まんてん」出演。
役はタクシー運転手
30thシングル「島の恋唄」発売。
■平成15年10月、31thシングル「いいから…」発売。
■平成16年11月、屋久島 日高十七郎(屋久町)町長から、長年の故郷貢献で感謝状が授与される。
■平成17年1月、東京九段にあるホテルグランドパレスにて「歌手生活35周年 日高正人 お祭り騒ぎ」
■平成17年6月、作詞家生活40周年「人間万葉歌〜阿久 悠 作詞集」に日高正人「港町三文オペラ」が収録される。
作詞家 阿久悠氏の著に、日高正人についてつずられたものがあった。「この歌は正真正銘売れなかった。にも拘らず、知る人ぞ知るという名曲の中に入っていて、今でも評価は高く、ぼく自身も大作であると信じているのである。ある人から、面白い歌手がいる、ひとついい歌を作ってもらえないかと頼まれた。僕は、個人的に仕事を請けるということはあまりしない。しかし、ぼくは引き受けた。彼にちょっと感じるものがあったからだ。…<省略>…屋久島出身で演歌を歌っている。これがかなり無名でありながら、日本武道館を満員にした。しかも、ど演歌なのに、プレスリーのような衣装で歌いまくる。いい男でもなく、若くもなく、歌も必ずしも上手いほうではない。…<省略>…もしかしたら、何十年後かにジャストマッチの歌になって帰って来るかもしれないと思ったりする。」といった感じで、書かれている。
■平成18年5月、32thシングル「やじろべえ」発売。
時代に流されることなく、ただひたむきに歌い続ける日高正人。そして、36年間歌いつづけ、60歳を超えた今なお、常にネクストワンにこだわり続けているその姿は、多くの人々、また、著名人らの心をも動かし、そして魅了し続けてきた。そんな日高正人はこれまでにも数々のメッセージを送り続け、多くの人々に夢と勇気を与えてきた。その、ある意味集大成でもあり、また、日高正人が長年描き続けてきた世界観がたきのえいじ氏と都志見隆氏という二人の作家との運命的な出会いにより、形となったのがこの「やじろべえ」である。
2007年問題。言うまでもないが、これは、高度経済成長を支え、現代の社会の基礎を作り上げたいわゆる、「団塊の世代」の人々が一斉に定年を迎え、技術の継承などへの影響が懸念されているというものであるが、それはまた、仕事が生きがいで生きてきた人々にとってはその生きがいを失い、そして自分自身をも失いかねない。歌ではそういった人々に対する、“自分らしく生きるのはこれからだ”という、まさに同世代である日高正人からの前向きなメッセージが込められている。そしてさらに、ただひたむきに走り続ける日高正人自身へのメッセージでもある。
最近、これまで以上に日高正人の歌が心に沁みるようになってきた。それはきっと音楽もダウンロードする、そんなデジタルな時代だからこそ、その対極にある、超アナログの日高正人の魅力がさらに際立ってくるというのも一つの理由なのかもしれない。そして、同時に本物は色褪せないということを日高正人は教えてくれた。
36年かかってこの曲にたどりついた。そしてまた、60歳を過ぎた日高正人が歌うからこそ心に沁みる。
日高正人にとって「やじろべえ」は到達点や通過点ではなく、まさにスタートラインなのである。
「夢をあきらめない男。
ひたすら夢に向かって歌い続けている姿にいつも感動させられます。思えば随分前から日高さんとは関わりを持ってきました。山もあり、谷もあり、その大きな体が泥んこになりながらも、歌ってきましたね。今思うと、その全部が日高さんにとって悔いの無い人生だったようで、羨ましく感じます。また、新しい年がやってきました。ここまで来たらもう、“怖いもの”は無いでしょう。(女性は怖いですが…)命尽きるまで大いに歌って下さい。喉が嗄れるまで歌って下さい。きっと何があっても、決して“負けない”日高正人の生き方がそのまま皆の希望の歌となるでしょう。」
南こうせつ
Future…
┣第1章 1970年〜
┣第2章 1980年〜
┣第3章 1990年〜
┗第4章 2000年〜
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